周辺国との関係
ギリシア系諸民族にとっては、古代ペルシアは天敵のような存在でした。
紀元前500年から50年余りにわたるペルシア戦争で、ギリシアの都市国家は大きな痛手を受けました。
アテナイをはじめ、ギリシア本土にもペルシア軍が侵入し、多くの都市が破壊されました。
その後のギリシアを二分したペロポネソス戦争も、ペルシアの干渉が原因でした。
アレクサンドロスは、ペルシア軍をメソポタミアのガウガメラで撃ち破ってペルシアに入ると、アテナイの仇をペルセポリスで討ったとでもいいましょうか、ダレイオス(ダリウス)の王宮に火を放ちました。
1931年に、シカゴ大学の調査隊によってペルセポリスの発掘が開始されたとき、遺跡の表面には厚さ
50センチもの灰の層が堆積していたといいます。
古代エジプトとの関係でも、ペルシア帝国は、紀元前525年から紀元前332年のアレクサンドロスのエジプト征服まで、2度にわたってエジプトを支配しており、アケメネス朝ペルシアは、東はインダス川から西はエジプトと小アジアまでを領土とした大帝国でした。
アレクサンドロスのエジプト征服は、古代エジプト人たちには、イスカンダール(アレクサンドロス)による解放と好意的に受け取られていました。