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2010年06月 アーカイブ

ペルシア対ギリシア

ペルセポリス王宮の建設は、ダレイオス1世によって紀元前520年からはじめられ、その後、歴代の王たちによって増改築が続けられたようです。

ただし、王たちが暮らした王宮ではなく、新年の儀礼や、即位の祭典などが行われた儀礼の都で、実際の首都はメソポタミアに近いスーサに置かれていました。

紀元前6世紀から前4世紀の初めまで、オリエント世界はアケメネス朝ペルシアに躁躍されました。

そしてペルシア対ギリシアという対立図式を軸に歴史が進展しました。

古代ペルシア帝国の特徴は、覇権主義につきるように思えます。

すでに広大な領土を抑えていたペルシアがなぜ、数10年もかけてギリシアにまで攻め入ろうとしたのか不思議ですね。

小アジアのギリシア植民地を支配した時点で、束地中海の権益も手に入れ、経済的な面では戦争の目的は達していたはずなのですが、ギリシア本土侵攻作戦を続けます。

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熱狂的な信仰によって・・・

アケメネス朝の膨張主義は、ゾロアスター教の影響を強く受けていました。

地球のすべてはアフラ・マズダ神の下に支配しなければならないとでもいうような宗教的な覇権主義が、ダレイオス王やクセルクセス王たちを常に戦場に赴かせました。

しかし、結果的には、その覇権主義が無用な戦争を引き起こし、そのために国力が傾いて、アレクサンドロスのマケドニア・ギリシア連合軍に報復されて滅ぶことになります。

アケメネス朝ペルシアの覇権主義は、ゾロアスター教とともに後のササーン朝に引き継がれていきました。

イラン・イラク戦争当時、アラブ諸国が団結してフセインの後押しをしたのも、ペルシア民族が古代から中東地域で発揮してきた覇権主義への潜在的な脅威があったからでした。

ペルセポリスは豪壮華麗な王宮であったはずです。

しかし、その王宮を廃壇にしてしまった遠因が王たちが信じていた宗教にあったのだとしたら、歴史は皮肉なものです。

「熱狂的な信仰ほど、手に負えないものはない」

イランに平安な日々がまた戻ってくるのを、いましばらく待つことにしましょう。

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