ペルシア対ギリシア
ペルセポリス王宮の建設は、ダレイオス1世によって紀元前520年からはじめられ、その後、歴代の王たちによって増改築が続けられたようです。
ただし、王たちが暮らした王宮ではなく、新年の儀礼や、即位の祭典などが行われた儀礼の都で、実際の首都はメソポタミアに近いスーサに置かれていました。
紀元前6世紀から前4世紀の初めまで、オリエント世界はアケメネス朝ペルシアに躁躍されました。
そしてペルシア対ギリシアという対立図式を軸に歴史が進展しました。
古代ペルシア帝国の特徴は、覇権主義につきるように思えます。
すでに広大な領土を抑えていたペルシアがなぜ、数10年もかけてギリシアにまで攻め入ろうとしたのか不思議ですね。
小アジアのギリシア植民地を支配した時点で、束地中海の権益も手に入れ、経済的な面では戦争の目的は達していたはずなのですが、ギリシア本土侵攻作戦を続けます。

