ゴッホの人生
ゴッホの墓がある共同墓地の石の塀の向うは、一面の麦畑になっています。
わたしがこの地を訪れたのは3月のことで、麦は小さな芽を出しているにすぎず、小雨に濡れたくろぐうとした土がはるか彼方までひろがっていました。
地平線のあたりに、いくつか小さな林が見えるほかは、何ひとつ眼をさえぎるものはありません。
ゴッホが『鴉のいる麦畑』を描いたのはどのあたりなのか。
私には見当がつきませんでしたが、灰色に垂れこめた雲に蔽われたこの野を眺めているうちに、私は、いっせいに飛び去ってゆく鴉の群の幻のごときものを見ました。
オーヴェールからパリに戻って間もなく、私はオランダにたちました。
ブリュッセルからアントワープを経てオランダに入ったのですが、どこまで行っても山どころか丘らしきものも見えぬ、おそろしく平坦な北ブラバントの野を走っていると、ゴッホが、アルルへ行っても、オーヴェールへ行っても、はるかにひろがる野というヴィジョンにとらえられ続けていた理由が実によくわかりました。
オランダ生れの画家といえばモンドリアンもそうですが、モンドリアンのあの純粋抽象の画面にも、このオランダの野の記憶が刻みつけられているのではないかとも思われるのです。
その日は、ベラスケスの絵で名高いブレダに1泊し、翌朝、少し南に戻って、ゴッホの生地であるフロート・ズンデルトを訪れました。
これは、オランダ風にチョコレート色にぬった小ぢんまりとした家が並ぶごく平凡な村。
街道ぞいに牧師館があります。
ゴッホは、この牧師館で、1853年3月30日、オランダ・カルヴァン教会のフローニンゲン派に属する牧師テオドルス・ファン・ゴッホの長男として生れたのです。