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2010年08月 アーカイブ

ゴッホの人生 3

ゴッホの死んだ兄の墓は、牧師館に近い教会のそばにありました。


鋭い感受性を持った少年にとって、墓石のうえに、自分と同じ名前が刻まれていることは、深い印象を与えずにはおくまいと思われます。


それは、人生の入り口においてすでに、身近なものとしての死を彼に示したでしょう。


或る批評家が言うように、この兄が自分と同じ名前であるために、自分をその兄の身がわりにすぎぬと思うにいたったということも、充分にありえることです。


ゴッホが生涯を通じて、あのように執拗におのれの存在理由を問い続けたということには、こうした事情がかげを落しているかも知れないのです。


このようなゴッホにとってのよろこびは、自然との結びつきであり、彼は、かぶと虫を追いまわしてりっぱなコレクションを作ったり、魚釣りや鳥の巣探しを楽しんでいたようです。


父の教会は、村の人口の2パーセントにも足らぬ信者数に比例してごくごく小さなもので、アカシアやけやきなどに囲まれてひっそりと立っており、林をぬけると、ヒースのはえた野や麦畑が続いていました。


こういう林や野が、幼いゴッホの遊び場だったのでしょう。

ゴッホの人生 4

のちになってゴッホは、


「われわれのなかには、ブラバントの野と、ヒースの原の何かしらがいつまでも残り続けるだろう」


と語っています。


また、テオが、アルルの病院にゴッホを見舞ったときも、「まるでズンデルトのようだ」と眩いたということですが、その後、テオにあてた手紙のなかで、こんなふうに書くのです。


「病気をしていたあいだ、ぽーはズンデルトの家の1つ1つの部屋、庭の小径や1本1本の木、まわりの景色や、畑、隣家の人たち、墓地や教会、背後の野菜畑・・・。


さらには墓地の山、同いアカシアの木にあるかささぎの巣までも眼に浮べた。


これはぼくがあのころの1番古い記憶を君や妹の誰よりも持っているからだ。


今ではそれをすっかり覚えているのは、母とぼくしかない。


あの頃起った考えを再び思い出さぬ方がいいから、もうとかくは考えまい」。


しかし、やがて彼は、この自然から離れなければならなくなります。


1869年、16歳のゴッホは、画商だった伯父フィンセントの紹介で、美術商グーピル商会のハーグ支店につとめることになるのです。


これからあと、1874年の7月、ロンドン支店に勤務中下宿先の娘ウージェーヌ.・ロワイエに求婚して拒否されるまでの5年間が、ゴッホの生涯で、もっとも明るい時期だったと言っていいでしょう。


死の直前まで続くテオあての手紙は、1872年の8月から書き始められていますが、この時期の手紙は、将来への希望と、美術や文学のうえでのさまざまな発見のよろこびにあふれたものなのです。

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