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2010年09月 アーカイブ

ゴッホの人生 5

ロンドンに移った彼の心には、時々オランダの記憶がよみがえります。


それは、


「ぼくには自然と芸術と詩がある。


もしそれで充分でないとしたら、いったい何が足りないというのか。


だからといって、ぼくはオランダを忘れはしない・・・特にハーグとブラバントは」


とか、


「どこの庭でも、ライラックやさんざしや、きばなふじの花盛りだ。


そして栗の木が美しい。


人が真に自然を愛するなら、その人はいたるところに美を見出すことが出来る。


でもぼくは、時々、オランダを、ことに家のことをなつかしく思うのだ」


・・・といったふうに、言わば付けたり的に思い起すにすぎないのです。


ロンドンでの最初の下宿は彼にはいささか高すぎたので、9月に、彼はブリクストン区ハックフォード街87番地のロワイエ夫人の下宿に移るのですが、この新しい下宿をテオに知らせる手紙は、ほとんど有頂天と評したいほどのものです。


「テオ、ぼくの新しい下宿のことについては君も聞いたはずだが、ぼくは君に見てもらいたくて仕方がない。


今、ぼくは長いこと望んでいたような部屋を持ったのだ。


天井が傾いていたり、青色の壁紙の縁が緑色になっていたりするような部屋ではない。


今、いっしょに住んでいる家族は非常に楽しい。


ここの家は、少年たちのための塾を開いている」。

ゴッホの人生 6

しかし、このような幸福のさなかで、決定的な不幸が彼を打ち倒しました。下


宿の娘ウージェーヌ・ロワイエに求婚した彼は、すでに他の下宿人と婚約しているという理由で、にべもなく断わられたのです。


妹にあてた手紙のなかで、この下宿の母娘について、


「ぼくは彼女と母親との間の愛に比べられるようなものを見たことも想像したこともない」と言い、


「ぼくのために彼女を好きになってくれ」と言っていた彼にとって、これは何とも辛い打撃でした。


「私の精神は深いから、あらゆる出来事は私の精神の最深奥部に達する」と語ったのはニーチェですが、ニーチェに劣らず深い精神だったゴッホにおいてもまた、この出来事は、その精神の最深奥部に達したのです。


次々と恋人を変える遊び好きの青年なら、その精神のうわっつらをかすめるだけで、程なくあとかたもなく消え去るようなこの出来事なのでしょう。


しかしゴッホにとってのこの出来事は、彼を、おさない頃、同じ名前の兄の墓を見て覚えた、おのれの存在理由についての問いに引き戻したのかも知れません。


この事件のあと、彼は、テオに、次のような手紙を書き送っていますが、長調で書かれていた音楽が、突如として短調に変ったような、この手紙の暗く沈欝な口調は、これが、1ヵ月前にあの浮き浮きした手紙を書いていたのと同じ人物の手になるものかと思わせるほどです。


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