のちになってゴッホは、
「われわれのなかには、ブラバントの野と、ヒースの原の何かしらがいつまでも残り続けるだろう」
と語っています。
また、テオが、アルルの病院にゴッホを見舞ったときも、「まるでズンデルトのようだ」と眩いたということですが、その後、テオにあてた手紙のなかで、こんなふうに書くのです。
「病気をしていたあいだ、ぽーはズンデルトの家の1つ1つの部屋、庭の小径や1本1本の木、まわりの景色や、畑、隣家の人たち、墓地や教会、背後の野菜畑・・・。
さらには墓地の山、同いアカシアの木にあるかささぎの巣までも眼に浮べた。
これはぼくがあのころの1番古い記憶を君や妹の誰よりも持っているからだ。
今ではそれをすっかり覚えているのは、母とぼくしかない。
あの頃起った考えを再び思い出さぬ方がいいから、もうとかくは考えまい」。
しかし、やがて彼は、この自然から離れなければならなくなります。
1869年、16歳のゴッホは、画商だった伯父フィンセントの紹介で、美術商グーピル商会のハーグ支店につとめることになるのです。
これからあと、1874年の7月、ロンドン支店に勤務中下宿先の娘ウージェーヌ.・ロワイエに求婚して拒否されるまでの5年間が、ゴッホの生涯で、もっとも明るい時期だったと言っていいでしょう。
死の直前まで続くテオあての手紙は、1872年の8月から書き始められていますが、この時期の手紙は、将来への希望と、美術や文学のうえでのさまざまな発見のよろこびにあふれたものなのです。